本園は、学校教育法に基づいて、お釈迦様の教えを指針とする学校法人「三宝学園 和光幼稚園」といいます。
その名前は、今から約1400年前の聖徳太子の制定された「十七条憲法」に由来しています。
三宝学園とは
『篤く三宝を敬え』(十七条憲法 第二条)その三つの宝には、
という意味があります。
何が良いか、何が悪いか、様々な人の様々な考え方が入り交じり、混沌としている現代において、私達の常識的な知識や価値観からではなく、どのような人でも、本当に尊いといえることを、そのことに目覚めた人(仏)の教えから学ぶことは、とても大切なことなのです。
和光とは
『和を以て貴しとす』(十七条憲法 第一条)
人間社会は、そのどこをとっても集団生活です。「みんななかよく」の根本は、権力や、命令ではなく、
一人ひとりがいのちの平等感に立ったところから生まれる「みんな いのちのなかま」であるという感覚なのではないでしょうか。
いのち
共に生き共に育ち合う保育の実践
本園では、仏教感による「いのち」の教育を目指しています。
その具体的な取り組みとして、保育カリキュラムを木に見立てた「保育の木」を基に、日々保育をしています。
保育の木今私たちのいるところ
人間は、人の間と書くように、決して一人では生きていけません。
まわりの人は勿論、あらゆるいのち、そして量りしれない有形無形のものに支えられて生きている存在ですから、人と人、人と動物、人と川というように、自分と他との関係を見ていくこと、つながりを大事にしていく事が大切なのだと思います。
しかし、私達のまわりでは、いのちが無造作に奪われ、いじめや子どもの虐待が横行し、環境破壊、大気汚染、ゴミの山等々、憂慮すべき問題があちらこちらにふきだしています。このことは、より多く、より早く、より上を目指す競争社会の中で、「支えられている」事実を持っているにもかかわらず、「自分本位」「人間優位」になっていくという矛盾を生み出してしまっています。
そして、そんな自分に気づくことのできないものの見方、考え方をしてしまっているところに、私達の問題があるのだと思われます。これら全てのことから、「いのちが見えなくなっている」私達のありようが見えてきます。
そして、幼稚園では
「(あらゆるいのちと)共に生き共に育つ」という考え方(感覚)を、子どもたちに伝えていきたいと考えます。
かけがえのない一人ひとりが、ナンバーワンを競い合うのではなく、その子らしく輝くオンリーワンを喜べる子どもに育ってほしいと思います。